僕の経歴

ここで、僕自身の経歴を書いておく。受かった人のデータとして参考にしてほしい。

 

高一

京都の私立高校(偏差値55)に色々あって入学。一応特待生だった。

入学からは京大志望として猛烈に勉強していたが、突如熱が冷めて一気に勉強しなくなり志望をやめる。

そこからしばらくしては教師になりたいこともあり、京都教育大学を目指す。センター試験で取ってあとは2次で国語と面接で取れればいいというのを知っていたので、センター対策の基礎勉強しかしなくなる。

まもなく、それより高いレベルの大学である京都府立大学歴史学科を志望する。志望校のレベルがかなり高いため、私文クラスに変更する事を決める。この時先生にはかなり止められたが、それでも私文クラスに行くことに。

高二

普通に過ごしてた。としか…この頃、学校で形だけのアクティブラーニングが導入されたが、それを割と真剣にやってたのは覚えてる。

英語教師がほぼ地雷だったため、若干英語が低迷した(完全に言い訳)。国語と日本史の先生はかなり良かったとは思う。

3教科に絞ったはずが、最初の模試では微妙な偏差値だった。流石にまずいと感じてそこそこ勉強を始めた。

京都の3教科型で1位を二度取った。が、何故かまた熱が冷めて色々志望校を変更しまくる。結局、某旧帝国大学同志社商学部を第1志望にする事で落ち着く。ここまでで、7回も志望校を変更した。

高三

旧帝国大学を目指したは良かったものの、数学が完全に独学状態のため模試ではかなり悲惨な結果が返ってきた(数学2Bがなんと9点!!)。

夏が終わったあたりで、Twitter漬けになり勉強時間が一気に減る。同時に成績が更に悲惨な結果となり完全に過去の栄光は消え失せる。

それでもやる時はちゃんと集中していたので

センター試験までで成績はかなり伸びてきていた。

センター試験本番、数学で計算ミスを連発し国公立を断念、同志社に集中する。過去問を35回解いた。

結局、同志社商学部に進学する事となった。

 

改めて振り返ると酷すぎて目も当てられない。決してこのブログを閲覧している人は同じようにならないように、真面目に勉強を続けて行きたい大学に向かって正しい努力をして欲しい。そして、第一志望を掴み取って欲しいと思う。